ゆるふ酒のコント作家、吉田六助が書いた小説をのっけてます。

最近書き始めたので下手くそですが暇つぶしにどうぞ。


小説 『 ふつう 』

 

 

2月の終わりとはいえ、夜はまだまだ肌寒い。

スーツの上にコート、その上にマフラーを巻いても、最寄り駅から自宅アパートまでの20分はなかなかに億劫だ。僕は今27歳だから堪えられるが、これが80を越えたおじいちゃんならどうだろう。まあ、80のおじいちゃんはこんな終電を過ぎた時間に外をうろつくこともないとは思うが。

アパートまで残り5分の所にあるコンビニでプリンを買う。たぶん、僕の分の晩飯をつくって待ってくれている彼女のために。彼女も仕事の日は朝が早く、疲れているだろうに、必ずと言っていいほどご飯を作ってくれている。共に晩ごはんを食べない夫婦は、その愛も薄まり蒸発してしまうそうだ。人の行動は強い思い込みにより形作られる。彼女も結婚というものを意識しているのだろう。

 

家につくとやはり彼女はご飯を作り、こたつでディズニーアニメを観ながら待ってくれていた。今日はたしか彼女の仕事は休みだったはずだ。いつもよりおかずに手が込んでいる。「プリン買ってきたよ」と告げると子供のような笑顔が広がる。彼女は僕と同い年だが精神も肉体も幼く愛らしい。

簡単にシャワーを浴び、冷蔵庫から発泡酒を取りだし飲むと喉の内側が炭酸でピリピリと刺激されて気持ちいい。僕は彼女の頭を撫でるついでにこたつに入り「ありがとう」と告げ、飯を食う。「うまい、うまい」と細かくリアクションをとる。僕も料理好きだから分かるが、人の作ったご飯を食べる時に「うまい」と告げることは飯を頂く側のマナーだ。

彼女はしばらく口を半開きにしてディズニーアニメに見入っていたが、唐突に小さく「あっ」と言い、こたつテーブルに乗せてある茶封筒を僕に手渡した。
「ね~マジでね、今年の上半期最大の事件だよ」
彼女は目を見開いて僕にそう告げる。
茶封筒には幼稚園児が書くようなミミズ文字で「果たし状」と書いてある。
「なにこれ?」
僕は半笑いで彼女に尋ねた。彼女は今日幼稚園で起きた面白事件を母親に語る園児のような口ぶりで答える。
「なんかね~、今日昼くらいに洗濯してたら、ピンポン鳴ってね?どーせセールスかなんかかなって思って無視してたら5秒間隔くらいで永遠ピンポンやるから、なんか大事な用かなって思って出たら、インド人が立っててね?」
「は?え、ちょっと待って」
急に飛び出したインド人というワードに驚き、僕は話を遮った。
「インド人?なにそれ?」
「え、いやインド人。本物のインド人がいたの」
彼女はその手の冗談を言うキャラでは無いので、たぶん本当なのだろうけど、それにしてもなんだ唐突にインド人って。
「え、なんでインド人だって分かったの?」
僕は彼女に尋ねる。
「え、なんか顔がインドの顔立ちだったし、なんていうの?ワンピースみたいに布をざっくり着てたし、ターバン巻いてたし、おでこに赤い点あったし」
「ああ、それは分かりやすいインド人だね」
僕は彼女に感想を伝える。
「でね?実際自分でインド人だって言ってたから。ドア開けたら『あ、どうもインド人ですが』って言ってたもん」
なんだそれは。
家に来たのが紛れもないインド人だということは分かったが、なぜ家にインド人が訪ねてくる必要があるのか。
「え、でなんでインド人が来たの?」
僕は狐につままれたような気分で彼女に聞く。
「いや、私もよく分かんないけど、これ渡しに来たんじゃない?」
彼女は「果たし状」と書かれた茶封筒に目をやり答える。
「え?はぁ、、」
僕は、仕事終わりで疲れていて頭が回らないのもあるが、よく分からない展開に若干混乱して返事をする。
「なんかね?その人が、松山拓海さんのお宅ですか?って聞くから、はいそうですって答えたら、拓海さんに渡してくださいってこれ差し出してさ。インド人からだって言えば分かるからって言ってたけど」
「いや分からないよ。俺インド人の知り合いいないし。え、なにそれ。なんか怖いんだけど」
よく分からない展開に、僕は背筋に寒気を感じる。
「ま~ま~落ち着いて?」
「え?うん、、、」
僕は発泡酒を一口飲む。アルコールでトロンと麻痺した頭に新たな疑問が沸いた。
「、、、それでさ、そのインド人はなんで、インド人って名乗ってんの?普通名前でしょ?なんで人種なの?」
「あ~」
「俺らがインドの人のお宅訪問する時、『あのぉ、日本人なんですが』って言う?」
「あ~確かに。言わないね」
「でしょ?」
「私インド人、生で見たの初めてだったから、なんか1つのキャラクターとして見てたかも。なんかさ、猫とかだったら『どうも猫です』って言うでしょ?そういう感じ」
「いや猫喋らないから。なんで猫で例えるの」
彼女は天然な所がある。
「あそっか。しかも猫にも名前あるしね。猫でも『私、タマって言います』とか言うはずだもんね?」
「あ~うん、そうだね」
彼女の天然な所を指摘しすぎると、たまに怒って拗ねることがあるので、今の発言はスルーすることにした。
「ね~、中開けてみてよ」
「え、うん、なんか怖いけど」
「じゃあ私が開ける」
彼女は謎の積極性を発揮し、台所からハサミを持ってきて、丁寧に茶封筒を開けた。中には便箋が1枚入っていて、やはり例のごとく、とてもたどたどしい文字で文章が書かれている。

彼女に読むようお願いする。まるで小学生が作文を読み上げるように語りだす。
「はたしじょう。まつやまたくみどの。このたび、あなたとけっとうをしたくおもい、てがみをかきました。みっかご、かせんじきのやきゅうひろばのところでまってます。じかんはひるのさんじ。よろしく。いんどじんより。」
末尾にもインド人と記載されていた。
お前はインド人代表か。
俺が心の中でつっこむと、彼女が「だって~」とニヤニヤしながら言う。完全に面白がっている。
「楽しみだね~」
ニコニコ顔で彼女が言うので、「楽しみじゃないよ」と訂正すると、「勝てる?」と一言。
「いや、勝てるもなにも、行かないから」
「え~、なんで~?」
彼女は残念そうな顔で僕の腕を揺する。
「いや、だって、気持ち悪いし」
「え、そんなことないよ。インド人は真面目に決闘を申し込んでるんだよ?男なら応えてあげなよ」
なぜ彼女がインド人の肩を持つのか分からないが、明日も早いので発泡酒を飲み干し、『私なら受けて立つけどね』と鼻息荒く話す彼女をあしらい、僕は寝床へついた。


朝起きるといつもより寒い。部屋の暖房を入れても皮膚全体に立つ鳥肌が治まらない。頭がボーッとする。何か嫌な予感がする。風邪か?二日酔いか?膝の関節が笑うように痛い。
今日は水曜日なので出勤はあと3日ある。まさか、インフルエンザじゃないよな?彼女の体温計を勝手に借り、熱を測ると37度3分。
微熱だ。
この関節痛がある辺り、インフルエンザの疑い有り。確かに最近疲れていたし、免疫力も下がっていたかもしれない。こういう時に、大抵僕は体調を崩す。
昨日のインド人からの果たし状といい、プチ不幸が立て続く。
仕事もあるのでとりあえずシャワーを浴びるが、体が凍てつき歩くとフラフラするので、職場の課長に午前中通院してから午後出勤する旨をラインする。近所の内科が開くまであと1時間はある。ソファに座っているのもしんどいので、ヒートテック上下を着て布団に戻る。
その時やっと気づくが彼女がいない。今日は早番だった。

彼女は寝ながら毛布を蹴ってベッドから落とす癖があるので、それをやっとの思いで救いだし羽毛布団と共にくるまり震えながら開院時間を待った。

 

近所にある内科のドアを開けると子供の泣き叫ぶ声が鳴り響く。
幼稚園くらいの男の子が母親に脇を羽交い締めにされ号泣している。どうやら診察室に入るのに恐怖を感じているらしく、涙や鼻水で顔面をビシャビシャに濡らしている。待ち合い室の老人が苦笑いで見つめている。子供の必死の抵抗もむなしく、母親に引きずられながら診察室へ消えていった。看護師さんが扉を閉めると同時に、子供の断末魔が断ち切られた。

 

僕は受付で保険証を渡し、インフルエンザかもしれない旨を受付の人に伝えると、診察の前にインフルエンザの検査をするよう促される。

待ち合い室に座り、初診のアンケートを記入していると、隣に座った男性からの視線に気づく。チラッと横を見るとインド系の顔立ち。驚いた僕は思わず「インド人っ」と声に出してしまった。男は男で不意を突かれたのか「は?」と聞き返し、僕の顔を見るなり「あ、すいません、知り合いかと思いまして」とたどたどしい日本語で返し、僕から目を離した。
例のインド人ではないのか?
しばらくすると受付の女性が隣の男の元にやって来て、保険証を返しつつ、医療事務上の確認なのか、男の国籍について尋ねた。男はたどたどしい日本語で「ネパールです」と答える。
ネパール人だった。
間違えた。
頭痛で頭が回らないのもあるが、僕は例のインド人からの果たし状事件以来、過敏になりすぎているのかもしれない。

インド人とネパール人は違う。

落ち着け、俺。

 

検査室で看護師さんから綿棒を鼻に突っ込まれ、「んがっ」と情けない声を上げた後、5分と経たないうちに診察室へ呼ばれ、医師から「インフルエンザのB型ですね」とあっさり診断が下された。仕事を何日休むべきかのレクチャーを受けた後、薬局で処方薬をもらい家に帰った。上司に「インフルエンザでした」とラインすると、「田中主任もインフルにかかったみたいです。仕事の事は気にせず、ゆっくり休んで!」と返信が来た。別の上司もインフルエンザで休んでくれたお陰で、僕も仕事を休む上で少し気が楽になれた。
今まで必死に働いてきたんだ。たまには休みも必要だ。
生きていく上で、自分を縛り付ける鎖を緩める作業はとても重要なことだ。

 

布団の中で震える日々を2日過ごした。

まだ保菌者ではあるが熱も下がり体調は回復したので久しぶりに外に出ることにする。ヒートテックを重ね着し、ダウンコートを羽織ってコンビニに向かう。

肉が食べたかった。
彼女が僕の体を気遣って毎日お粥を作ってくれたが食欲も出てきたのでそろそろ高カロリーな物も食べたい。

日本人は元々農耕民族で菜食主義だが、その前はマンモスを捕獲して食べていた。
欧米人でなくとも肉を欲する血筋なのだ。

 

セブンで唐揚げ棒を2本買い、イートインで食べた後、雑誌を立ち読みしていると後ろから声をかけられた。
「松山サン、ダヨネ?」
外国訛りの日本語だ。ドキリとして振り向くと、頭にターバンを巻いたインド人風の男が立っている。そして何故か、タンクトップに短パン姿だ。
ヤバい。
血の気が引くような恐怖を感じると同時に、この寒い時期に真夏のような格好をしていて大丈夫なのかと心配になった。
「ナンデ来ナカッタノ?」
インド人風の男がたどたどしい日本語で僕に尋ねる。
「あっ」
そういえばインド人が家に来て果たし状を渡したのは僕がインフルエンザにかかる前日だったはずだ。果たし状には確か3日後に決闘をしようと書いてあった。
逆算すると決闘の日は今日じゃないか。
「あ、すいません」
やはりこの男は果たし状を持ってきたインド人だった。しかし何故このインド人は僕に果たし状を持ってきたのだ。しかも僕はこのインド人に見覚えはない。何故そんな見ず知らずのインド人に決闘を申し込まれなきゃいけないんだ。
「ココデ、ヤッチャウ?」
インド人がシャドーボクシングの動きをしながら僕に言った。
「いや、ここでは。店員さんに迷惑がかかるんで」
「ソッカ。ソウダネ」
インド人はシャドーボクシングを止め答える。
物分かりが良い。
果たし状を送ってくるような男なので、どんな荒くれ者かと思ったが、意外に常識はあるようだ。
「あの、寒くないんですか?」
僕はインド人の薄着を心配して尋ねる。
「エ?アー、コノ格好?全然平気ダヨ。インド、日本ヨリ暑イシ」
「はぁ」
インドの方が暑いんだったら日本の寒さには弱いんじゃないか?
「ナニ読ンデルノ?」
インド人が尋ねるので、
「メンズノンノです」
と答えた。
「エ、、メンズノンノッテ、オ洒落ナ人ガ読ム雑誌ダヨ?」
失礼じゃないか?
確かに僕は病み上がりということもあって、大した格好はしてないが、タンクトップに短パン姿のインド人に言われる筋合いはない。
というかなんだこの腑抜けた雰囲気は。仮にも決闘相手同士の会話だぞ?
もしかしたらこのまま逃げられるかもしれない。
病み上がりということもあって、面倒なことに巻き込まれるのは避けたいのだ。
「あのぉ、じゃあそういうことで」
僕が雑誌を棚に戻し帰ろうとすると、インド人が呼び止める。
「エ、モウ帰ルノ?」
「あ、はい」
「エ~。モット、ダベロウゼ?」
なんでだよ。
なんで見ず知らずのインド人とコンビニで駄弁らなきゃならないんだ。
「あのぉ、僕、インフルの病み上がりなんで」
「エ、保菌者?」
「え、まぁ一応」
「エ~!駄目ダヨ、外出チャ。小学生ジャナインダカラ」
なんだこいつ。ちょいちょいムカつくな。
「まぁそういうことなんで、今日のところは」
僕がそそくさと帰ろうとすると、後ろから「ア~、オ大事ニ~」と声をかけられた。それを無視してコンビニを後にする。


その日の夜、夢を見た。
僕は、以前1度だけ来たことのある川崎の街を歩いていた。
そして何故か全裸だ。
下半身がスースーしてとても解放感がある。
僕以外にも川崎を歩く人はいるが、みんな服を着ている。
裸なのは僕だけだ。
しかし、周りのみんなは僕が裸だということを全く気にしていない。
僕も特に気にしていない。
堂々と歩く。
前から彼女が歩いてくる。
彼女も全裸だ。
ささやかな胸を揺らし、僕の目から視線を外さずやって来る。
彼女はいつもかなり薄いメイクをしているが、今日は何故か濃い。
太い付けまつ毛を付け、ブルーのカラーコンタクトをはめている。
そして真っ赤な口紅を引いている。
彼女はわりと日本人的な顔立ちだが、今日ばかりはパリコレのランウェイを歩く白人モデルのようだ。
いつもと違う大人びた顔立ちに、いつもと同じ幼い体つきが合わさり、何とも艶かしくエロティックに見える。
彼女は僕の前まで来ると、僕の両頬を掌で包み、ねっとりとした口づけをした。
彼女の舌と体が生身の僕に絡み付く。
僕は彼女の腰に手をやり、お互いの体が溶けて同化するほど、彼女を貪った。
今までの人生の中で、一番イヤらしい時間が流れる。
僕は勃起したぺニスを彼女の下腹部に擦り付けていたが、それだけでは我慢できず、彼女の股に差し込んだ。
彼女の中はヌルヌルしていて締め付けが絶妙に良かったので、僕は狂った犬のように腰を振った。
途中、目を半開きにして彼女の顔を見ると、何故か、映画「マスク」の主人公のように顔がうねうねと動き始める。
粘土のように顔が変形し、今日コンビニで会ったインド人の顔になった。

しかしそんなことはどうでもいい。

彼女の体にインド人の顔をした化け物を僕は激しく求め続けた。

 

目が覚めると僕のパンツは濡れていた。
夢精したのは初めてだった。

 

インフルエンザが落ち着いて2日経ち、職場復帰することが出来た。

同じタイミングでインフルエンザに感染した田中主任も戻ってきていた。朝一で課長に、ご迷惑をお掛けしましたと頭を下げ、自分のデスクに座る。
隣の席の斎藤さんが心配そうに「大丈夫?」と声をかけてくれた。「はい」とビジネススマイルで答えると「インフルエンザに効くらしいよ」とチョコをひとつくれた。もうインフルは治ったし、たぶんチョコの効果は薄いと思ったが、有り難く頂く。

 

昼休み。
デスクでコンビニ弁当を食べながら、あの日の夢の事を思い出していた。僕は夢の中で、異国の男性とキスをしたわけだが、全く嫌な感じはなかった。むしろとてもエロティックだった。僕や彼女の体をしたインド人だけではなく、川崎の街全体が隙間なく官能のゼリーで埋め尽くされていた。
脳をぼんやりとさせ、あの時の感覚を再現する。
唐揚げ弁当を食べながら、僕は勃起していた。

 

会社復帰後の初日を終え、家に帰る。
久々に働くと楽しかったが疲れた。今日彼女は早番の日なのでご飯を作ってくれているはずだ。何を作ってくれているのか楽しみだが、早く食べて寝たい気持ちの方が強かった。
僕は玄関のドアを開ける。
「ただいま」
僕はか細い声で言う。
部屋の奥から「おかえり~」という彼女の声が響く。
「いや~疲れた」
独り言のように呟きながらリビングに入ると、彼女とインド人がこたつで鍋をつついていた。

 

は?

 

インド人は口をモグモグ動かしながら、片言で「オカエリ」と口にした。
何やってんだ、こいつ。
僕は正直イラついた。
何故人ん家に勝手に入り込んで鍋なんかご馳走になってるんだ?
彼女も彼女だ。
なんで俺に断りもなくインド人を家に入れてんだよ。
僕はインド人に殴りかかりたい気持ちだったが、大人気ないし疲れているしで、トーンを落とした小声で尋ねた。
「何やってんの?」
インド人は白菜を口に入れながら答える。
「鍋食ベテル」
いやいや、そんなことは見れば分かる。
「なんで鍋なんか食べてんの?」
僕は眉間にシワを寄せ尋ねる。
「彼女サンガ『食べてけば?』ッテ言ッタカラ」
僕はそれを聞いて彼女の方を睨む。彼女は少しおろおろしつつも悪気なく答える。
「え、だって、鍋ってみんなで食べた方が美味しくない?」
僕はそれに答える気力もなく溜め息をつく。
すぐに別の疑問が沸いた。
「お前、これ浮気?」
僕の一言に、彼女は流石に焦ったようですかさず答えた。
「いや違う違う!そんなんじゃないから」
彼女は前に1度だけ浮気したことがあった。
しかし終わったことだ。
僕は疲れもあってか、あらぬ方向に話題を移してしまう。
「いやだってさ、俺が知らないうちに、勝手に他の男家に入れてるわけだよ?」
彼女は上手く返すことが出来ないのか、少し涙目になって否定する。
「違くて、インド人さんが家に来て、『松山さんいますか』って言うから、『仕事です』って言って、で、ちょうど鍋作ってたから、『食べますか』って聞いて」
「だからなんでそうなんだよ」
「いや、ごめん、ごめんなさい。私もよく分かんないけど、、」
と言い彼女は手で目を隠した。
泣いてしまったのか。
というかなんで泣くんだ。
泣きたいのは俺の方だ。
唐突に決闘を申し込むような気味の悪い男だぞ。

そんな男が勝手に家に上がり込んでるんだ。

被害者は俺だ。

「ア~、泣イチャッタヨ」
インド人は具の無くなった鍋に1個でも肉的な物が残ってないか箸で探りながら言う。
「って言うかお前なんだよ!なんで鍋全部食ってんだよ!」
インド人の悪びれない態度にイラッとして、僕は矛先を変える。
「エ、美味シカッタシィ、」
インド人は悪気なく答える。
「鍋の具は、まだあるから、、。野菜とか鶏肉とか、台所にあるから、、」
彼女がつらつら泣きながら言う。
インド人は悪びれるそぶりもなく、
「マ~マ~、怒ッテモショウガナイヨ。トリアエズ、鍋食ベナヨ」
と言う。
「なんでお前が言うんだよ!ここ俺んちだぞ!?」
と僕も声を荒げる。
「ごめんね~、、鶏肉とか野菜とかはまだ残してあるから~、、」
とスーパーでお菓子を買ってもらえない子供のように泣きながら彼女が言う。
何なんだこの状況。
疲れもあってか頭が痛くなる。
僕はおでこを右手で押さえ、溜め息をつきながらうずくまってしまう。
その姿を見て、浮気がバレた日のことを思い出したのか、彼女は更にヒートアップして号泣する。
「鶏肉とか~!野菜とか~!まだあるから~!」
インド人は鍋の2回戦に行きたかったのか「俺取ッテ来ルヨ」と言い台所へ消えた。
リビングには鼻を垂らして泣く彼女の声が響いていた。

 

まぶたから光が透けて僕の目に薄茶色に濁った白が映し出される。
その濁った白によって僕の意識は徐々に覚醒していく。
朝だ。
目覚まし時計の鳴る音で目が覚めなかったので、寝坊したのだと思い、僕は焦って時計の針を見る。
時計の針は午前9時を指していた。
やばい、仕事に遅刻した。
頭に瞬時に血液が回り飛び起きたが、冷静に考えると今日は土曜日だ。

 

仕事は休みじゃないか。

 

そうだ。
僕は昨日仕事復帰したわけだが、その日は金曜日なのだった。
1日だけ出勤し、今日は週末の2連休初日だ。
よかった。
ダブルベッドの隣を見ると彼女の姿は無い。
そうか、今日彼女は出勤日なのか。
自分が遅刻した訳ではないことに安堵する一方で、昨夜の記憶も呼び覚まされた。
昨日インド人が家に上がり込んでいたのだった。
そして、図々しくも夜中まで宅飲みし、終電を逃したインド人は家に泊まったのだ。

寝室の襖を開け茶の間を覗くと、客室用の布団の上でインド人が気持ち良さそうに寝ている。僕のTシャツとジャージを着ている。昨日インド人に貸したのだった。
全く。
どこまで図々しい奴なんだ。
僕は布団に入り直し、2度寝することにした。

 

昼前に目が覚め、襖をそっと開けると、インド人が小さい音でテレビを見ていた。昨日着てきていた服に着替えており、一応布団は畳まれていた。僕が襖から顔半分だけだし、「おはよう」と言うと、インド人は不意を突かれたのか一瞬ビクッとし、僕の方を振り替えって、「オハヨウ」と挨拶をした。
朝飯を食うかと尋ねると、悪いからコンビニで買って食べると言うので、散歩がてら二人で外へ出掛ける事にする。
一晩寝ると疲れもあらかた取れており、昨夜のようなインド人に対する怒りは薄まっていた。むしろみっともない態度を取り、悪いという感情まで沸き起こっていた。僕の中のもう一人の自分が、「どこまでお人好しなんだよ」と言うが、インド人本人を目の前にして昨夜同様怒りをぶつけるのは流石に恥ずかしかった。

僕はポケットに手を突っ込み、インド人と並んで近くのコンビニまで歩いた。
コンビニまでの道、インド人が「コーイウ休ミモ良イヨネ」と呟いた。
僕はそれに同意するように頷く。

 

それぞれコンビニでパン的なものと飲み物的なものを買い、近くの公園まで歩く。
インド人とベンチに座る。吐く息が微かに白い。やはりパンを暖めてもらって正解だった。
二人とも無言で咀嚼する。
ふと僕が「決闘はもういいの?」とインド人に聞いた。

インド人は「ウ~ン、ヤリタイケドネ」と呟く。
まだ決闘への意思は残っていたのか。
「なんで俺と決闘したいの?」と聞くと「、、ランダム」と言う。

思わず「は?」と口にすると、「誰ト、ジャナクテ、決闘スルコト自体ニ意義ガアル」とのこと。
「はぁ、、、そんなもんかね」と僕が言うと、「ソンナモンダヨ」とインド人が呟く。
インド人の腕を横目で盗み見ると細くはあるが確かに筋肉がついていて、僕が想像するにボクサーのような肉体の持ち主だ。
「やっぱ鍛えてんの?決闘に備えて」と聞くと「全然。普通に生キテルダケデ、筋肉質ニナル体質」と言う。
「そっか」と僕。
「決闘好きなの?」と聞くとインド人はしばらく考え、「野暮ナコト聞クナ」と言う。
公園には白い線を指すように光が満ちていて、空間に漂う淀みを浄化していた。
インド人は空虚な目で光を見つめ、僕はそれが綺麗だなと感じたが、硝子のような眼球には狂気が漂っていた。
なぜこの男は決闘をしたいのか。
そんなこと考えても分からないし聞いても答えてくれない。
異国の男はどんなにヘラヘラしていても目の奥が空洞だ。
底無し井戸のように奥深い。
そこに手を突っ込んだところで理由など捕らえきれない。
しかし彼の根底には脈々と得たいの知れない何が流れているのだろう。
「狂気だね」
僕が言うと、
「キョーキ?何ソレ」
と男は尋ねる。
きっと彼にとっては普通のことなのだ。
僕の狭い価値観に当てはめてはいけない。
「あー、、気持ちいい天気だねって意味」
と僕が言うと、インド人は背伸びをしながら、

「ソウダネェ」

と呟いた。